03-10.「ハイブリッド状況論」について ー変化し続ける空間を理解するー

  1. 動き続ける空間を読むーエスノグラフィーと状況論ー
  2. 日本の学校教育への違和感ー言語ゲーム論との出会いー
  3. 状況論との遭遇 ー共同研究者 上野直樹氏との出会いー
  4. フィールドワークの視点ー冷蔵倉庫の空間を読むー
  5. フィールドへの溶け込み方ー工場から実験室までー
  6. 分析のプロセスー状況論とは普通の見方ー
  7. 論文にまとめるタイミング ー動いたことは書く!ー
  8. フィールドの見つけ方 ー「社会システムとしてのコピー機」ー
  9. 今後の研究テーマ ーエージェンシーと社会・技術的アレンジメントー
  10. 「ハイブリッド状況論」について ー変化し続ける空間を理解するー

「人工物」も「社会・技術的アレンジメント」も「エージェンシー」も決して固定的なものではないのです。

川床靖子氏(以下敬称略):今年初めに上野さんが亡くなって、追悼のシンポジウムがあり、私も登壇者の一人だったのですが、上野さんとはフィールドワークを十数年一緒にしてきましたので、私としてはやはりそのことを話すべきだろうし、そのことが今にどう繋がっているのか自分自身で検証したいと思い、これまでの研究を振り返ってみました。

上野さんや私の理論的立場は、「ハイブリッド状況論」というのが適切かなと思います。ハイブリッドというのは”異種混合の”という意味ですが、「ハイブリッド状況論」とは、上野さんにしても、私にしても、日本や海外を含む様々な分野の研究者の知見を取り入れて、論を組み立てているということから名付けました。日本人の研究者では、たとえば西阪先生にすごく影響を受けています。エスノメソドロジー的状況論というのが一番私たちの状況論には影響が大きかったかなと思います。それと最近ではアクター・ネットワーク理論ミッシェル・カロンもいますね。それだけではなく、その合間にはミシェル・フーコー、言語ゲームのヴィトゲンシュタイン、あるいは、ベイトソン等々、そういう様々な研究者の言説から気に入ったところを取り入れている感じです。だから『ハイブリッド状況論』なんです。

※ハイブリッド状況論…エスノメソドロジー・状況論やアクター・ネットワーク理論、状況的学習論など国内外の様々な論と自身のフィールドワークからの学びを元に川床氏が提唱する新しい状況論。
「人が何を望み、考え、感じるか(エージェンシー)ということ、あるいは、認知的能力と言われてきたものは人工物と独立に存在するのではなく、人と人工物のhybridization、人と人工物の様々なアレンジメント、言い換えれば、社会・技術的アレンジメントから生じる」としたもの。
エスノメソドロジー的状況論…日常における人間の行為を、内発的な事前計画の実行ではなく“状況に埋め込まれた”もの、相互行為として捉える立場。エスノメソドロジー(会話分析)や認知科学の知見を学術的に用いており、ワークプレイス研究などに活用される。代表例としてルーシー・サッチマンの「プランと状況的行為」など。
アクター・ネットワーク理論…科学技術が作り出される過程をフィールドワークによって明らかにする作業から生み出されてきたもの。研究対象とする出来事や現象を、そこに登場する人・言葉・モノといった異種のモノからなる比較的安定したネットワークとしてとらえ、そのネットワークの集積として世界を読み解こうとするもの。
ミッシェル・カロン…(仏)1945年〜。アクター・ネットワーク理論を発展させている社会学者の一人。
※ミシェル・フーコー…(仏)1926〜1984年。哲学者
※グレゴリー・ベイトソン…(米)1904〜1980年。文化人類学、精神医学の研究者。
“ハイブリッド状況論”につながる様々なアプローチとの対話

ーそうするとアフォーダンスの生態学的なものも、やっぱり先生の考えとは異なるのでしょうか?

川床:私はアフォーダンスの考え方は好きです。多少、生得的な感じがあって気になりますけど。それでも、生物体は自分の環境というものを『何かこうしたい』とか、『こんなふうにできるんじゃないか』というふうに見ているというギブソンの主張には納得するところがあります。これはエージェンシーに繋がる話ですよね。たとえば”こぶし大の石ころ”があったとします。廊下を歩きながら壁に釘がちょっと出ているのを見た後で、このこぶし大の石を見つけたとすると、その石ころは投げることではなくて、”釘を叩く金槌的なもの”として見えてくる。また、ベランダで書類を読んでいたらそれが風で飛ばされそうになったというときに、その石ころを見たら、それは”文鎮的なもの”として認識される。つまり、ある行為のコースの中で、同じ石ころも、行為者に様々なアクションをアフォードするという見解は、まさにそうなのだろうって納得できるのです。

※アフォーダンス…ジェームス・ギブソン(米・1904ー1979)の提唱した生態心理学における基底的概念。環境が動物に対して与える(afford)「意味」のこと。動物と物の間に存在する“行為についての関係性・可能性”のことで、動物側の認識とは独立して存在するもの。デザイン・認知心理学分野でドナルド・ノーマンが用いた(誤用した)「アフォーダンス」(ものをどう取り扱ったいいかについての強い手がかり)とは区別して理解する必要がある。

※ジェームス・ギブソン…(米)1904ー1979年。「アフォーダンス」の概念の創始者。

ー今までお伺いしたお話では、普通の人々が日常の「社会・技術的アレンジメント」から影響を受けたり作りかえたりする”現場の動き”を理解しようとする研究が多かったと思います。
一方で先生の本の中には、より大きな仕組みから”現場”に影響を与える社会政治のようなものを批判的に捉えた事例もいくつかありますね。たとえば、介護制度※お話とか。

川床:制度というかポリティクスの話ですよね。介護については、介護保険制度が始まった2000年にちょうど父親が90歳になっていて、私も母も姉も新しい介護保険制度というものに非常に関心をもっていました。三人で、『良い制度ができそうで、これからは安心だね』などと言っていたのです。介護を単に家族だけのものにしておくのではなく、”公のもの”として、ケアマネージャーというプロがマネージしてくれるなんてすごいなと思って。姉が高齢の父に制度を利用させようと奔走してくれました。利用するには、「要介護認定」を受ける必要があり、『訪問調査員』が自宅に来て父や家族に聞き取り調査をし、その調査に基づいて父の『介護度』が決まり、実際に、父はその介護度に準ずるサービスを利用することができました。しかし、実際に利用する立場の者としてみると、この制度は本当に分かりにくいし、欠陥だらけだと思います。そういったことを抗議の意味も込めて、論文には書いているんです。今、介護度の認定が押しなべて軽度にシフトしていたり、介護料の利用者負担率がどんどん引き上げられている状況を見聞きしますが、そんなことは制度発足の時から予定されていた仕組みなのです。
本当に腹が立ちます。介護関連の論文は、怒りが書かせているといった感じですね。

※介護制度のお話…日本におけるケア・デザインのあり方や介護保険制度について論じたもの
ー「空間のエスノグラフィー」 第1章 老いのデザイン より

ーまさに、エージェンシーがそこで生まれてきているってことですね。

ー本の中では、フィンランドの介護制度の話も大変印象的でした。

川床:やはり、ちょうど、日本で介護保険制度が始まった頃、私の実家がある仙台で市がフィンランドと共同で「フィンランド式高齢者介護」のシステムを導入するということを大々的に発表をしたのです。それについての広報を初めて読んだとき、私は『えっ?』と思ったんです。まず、『日本の、しかも仙台とフィンランドとは人々の暮らしということでいったら、どういう共通点があるのかな?特に、老人達の暮らしを考えても全然ないじゃないか』って。それなのにどうしてフィンランドのシステムを導入するのだろうと。それで、フィンランドのオール市を訪ねて、高齢者介護施設や介護サービスの実際を見せてもらいました。
その後、仙台市のフィンランド・プロジェクトの経過も注意深く追っていきましたが、結局、仙台市の産業振興課の主導で、フィンランド製の介護用品を日本の状況に合わせて仙台の業者が生産し、「仙台発介護用品」と銘打って、世界に販売しようという”雲をつかむような話”だったことがわかりました。実現したのかどうかはわかりません。

ー同じ商品であっても、生活パターンによって使い方も全然違うでしょうしね。体の大きさだって違いますしね。

川床:当時、各地で、ICTの介護サービス分野への導入を検討するシンポジウムが開かれていました。覗いてみると、「ユビキタスセンサーネットワークでの高齢者向け安心・安全の確保のために」「ICTを使った在宅ケアシステムの展開」といった演題が飛び交っているのです。あまりに現実とかけ離れた世界でのやり取りに、居心地の悪さを感じると同時に、開発者にはもっと現実の高齢者の暮らしを知って欲しいと切に思いました。


そんな時、鳥取県智頭町のひまわりシステムを知り、早速、行ってみました。「ひまわりシステムに参加してお年寄りが明るく元気になる」ということは、どういうことを意味しているのだろうか。いろいろ調べたり、考えたりしました。それで結局行き着いたのが、『人が最も欲しているのは、人とのやり取りなのだ』ということだったのです。だから、センサーを玄関マットからポット(魔法瓶)や宅配弁当の蓋にまで付けまくって、それで高齢者の見守りができているなどという話を聞くと、なんとまぁ、浅はかなという気がします。
こんな具合に、介護については、私たち家族の最大の関心事だったということもあり、ごく自然な形で、私の研究対象になったのです。

鳥取県智頭町のひまわりシステム…郵便配達員が日々の配達業務の折に、一人暮らしの高齢者の家に立ち寄り、日用品や薬の注文を取り、配達することによって、山間地で自前の交通手段を持たない独居老人の生活をサポートしようとした取り組み。

ーそう考えると本当にいろんなところに題材が転がっているってことですよね。国内も国外も同じようにフィールドワークに行かれていて、フットワークも軽いですしね。

川床:本当にフットワークだけは昔から軽いのです。今でも、結構いろいろな所に行きますが、行った先では、その都度、オロオロ、ハラハラ、ドキドキと緊張しまくっています。

ー(フィールドを探すときに)市役所や町役場にアポなしで行くだけでも、私たちからしたらすごいですが。

川床:切羽詰まると、図々しくなれるというか、恥ずかしいです(笑)。

ーお話を通じて感じたのは、もともとエスノグラフィーに向いている素質が子供の頃からおありだったということです。同じものを見ていても『そういうものだ』と受け入れてしまうか、『ちょっとおかしいんじゃないか』って違和感を覚えるかっていう違いがベースにありますからね。

川床:そうでしょうかねえ。ただ、それは、難しい”論”があるわけでもなんでもなくて、あくまで感覚的なものなんですけどね。

ー本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。

2015年7月29日(水)

東銀座 UCIルームにて


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