「デザイン思考(design thinking)」が日本で注目されはじめて数年が経ちました。直接デザイン思考という言葉を使わなくても、「デザイン」や「イノベーション」というキーワードを掲げた書籍は毎月のように出版されています。
しかし、似たようなアプローチはwebのインターフェイス(GUI)の世界などでは以前から注目されていましたし、デザイン思考のバイブル『発想する会社!』も日本語版が発刊されて既に10年以上が経っています。
なぜ近年、ここまでデザイン思考が注目されているのでしょうか。そして、現場ではなかなか実行が難しいそのプロセスのポイントはどこにあるのでしょうか。
そこで、デザイン思考という概念が持つ“本質”と、実践における“作法”について、さらに今後の展望について、長年の研究と豊富な実務経験をお持ちの京都工芸繊維大学大学院の櫛勝彦教授にお伺いしました。
目次
- そもそも「デザイン思考」とは?
- デザイン思考が近年の日本で注目されている背景
- デザイン思考の“作法”について
- デザイン思考の実現の難しさと課題
- 今後の展望
1.そもそも「デザイン思考」とは?
人間本来のモノを考える自然な姿なんだと思います。
ー「デザイン思考」※1とは、そもそもどのようなものなのでしょうか。
櫛勝彦氏(以下敬称略):個人的な解釈でいうと、「デザインシンキング」という言葉自体は、アメリカ、特に西海岸のスタンフォード大学を中心としたベイエリアの運動から出ていると思います。いわゆる、大きな会社の大きな工場というのを背景にしたきちんとしたやり方ではなく、もっとルーズに個人のクリエイティビティを活かしてやっていかないといけないのではないか、というトレンドがありました。
僕らは制度の中で勉強していくので、決まり事をベースに物事を考え、『こうあるべきだ』といったことを学ぶことが学習であり、それをきちんとこなしていくことが社会人だ、という風潮があります。しかし、そういったものだけだと物事の真理は見えてこないのではないか、正しい発想ができないのではないかといった反省がありました。
西海岸というヒッピー文化が精神的背景にあったからこそ、制度や慣習というフィルターのかかった考え方をいったん外し、フィルターを通さないクリアな目で物事をよく見て、人からの伝聞ではなく直接見に行くといった個人の活動や能力を最大限に活用しながら、考え方を共有し発想していく方が良いのではないか、というところに行き着いたのでしょうね。
組織で物事を進めるというと、事務室があって偉い人がいて並んでいる、工場でいうとベルトコンベアが動いているというようなシステムがイメージしやすいと思います。確かに、そういう効率やマスプロダクションといった流れが、アメリカの社会基盤を作ってきたのだけれど、もっと人間本来の創造性を発揮できるようなことが次の時代には必要だということで、スタンフォードの教育が支持されたのでしょう。
IDEOの創設者でスタンフォード大学教授のデヴィッド・ケリーさんも昨年会った時に『今、ようやく社会的にもいろんな文化の中で注目されてきているけど、僕らがやっていることは30年前と全然変わってない』とおっしゃっていました。だから、デザイン思考は流行りのように見えるけど、実は延々と続いているものだし、人間本来のものを考える自然な姿なんだと思います。
デザイン思考というとなんだか特別な思考方法のように見えますが、物をよく見て、知って、よく考えて、表現していくという、きわめてシンプルな構造です。しかし制度や教育、社会的な経験のなかで自分を束縛していってしまう。企業にいるといろんな経験を持った専門家がいて、それぞれ専門家としての意見があるわけですけど、そういうステレオタイプのようなものからどう切り離して、新たにいろんな視点で物事を見ていくかというのが、デザイン思考の中心になるのではないでしょうか。
※1デザイン思考(design thinking)・・・イノベーションやマーケティングに、デザイナーが持つ考え方を取り入れようというコンセプト。この時のデザインは、芸術やスタイリングといった領域に留まらず、より広い意味での「人間中心で問題を発見し具体的な解決策を想像していく一連のプロセス」を指す。iPodの一連のユーザー体験のプロセスデザインなどが有名。米のデザインコンサルティングファーム「IDEO」やスタンフォード大学の「d-school」が広めた。
ー「デザイン」という言葉の定義するものは、日本ではだいぶ受け取られ方が違うと思うのですが、いわゆる、スタイリング的なデザインではないデザイン思考におけるデザインというのはどのようなものなのですか。
櫛:いわゆるインダストリアルデザイン、従来のデザイナーといわれている人たちのD(デザイン)と、デザイン思考におけるdは、層というかレイヤーが違う感じが確かにあります。ただ、レーモンド・ローウィみたいなインダストリアルデザインという言葉自体を作ったアメリカの第一世代の優秀なデザイナーたちは、極めて商業主義的なデザインをしたように評価されていますが、実は極めて戦略的で、たとえば『駅のゴミ箱を作ってください』という依頼があったときに、ポンと作れば良いのだけど、相当観察しているんです。そんなことは多分、鉄道会社の人は依頼していないんだけど、優秀なデザイナーというのは必ずそういうことを自分のプロセスの中に取り込んでいるわけですね。
ただ、デザインの教科書ではかなり漏れてしまう。芸術的な、思想的な部分と表現的な部分については記述されていますが、実際にニーズを拾い上げてカタチに昇華させていく部分はあまり教育の中でも出てこない。今は違いますけどね。デザイン思考には、いろんなプロセスが含まれてきますが、形に落とす前のいわゆるプレデザインといったところ自体も、デザイン思考のデザインとして捉えないといけないし、その部分がすごく重要ですよね。だからデザイン思考のデザインは、スタイリング的なものも包含しているもっと大きなものだと思います。
プレデザインの部分は実は誰が専門性を持とうが良いわけで、エンジニアリングだとかマーケティングだとかデザイナーだとかが一緒に作業できる、シェアできる部分です。そこが今はプロセス化できない、逆に言うと誰も自分の責任においてできない部分があるので宙ぶらりんになっている、というのが課題ですね。
ー先生が「デザイン思考」に出会った経緯は?
櫛:我々が何かプロジェクトを行う場合、「問題が何か」を見つけないといけないのでフィールドに出ますよね。それは自然なことなんです。だけど、会社に入ると分業体制の中でなかなかできにくくなっていく。良いデザインをしようしたときにはすごく必要なのに、そこに予算が割かれていない。
実際、何かデザインを依頼されたときには物を見に行ったりお客さんの話を聞きに行ったり、プライベートにするわけですが、なかなか組織として認めてもらえない活動なわけです。そこに誰もがちょっとした矛盾を感じているわけで、僕が企業でデザイナーをしていた当時、たまたま一緒に仕事をしたIDTwo(現IDEO)が、プロジェクトの費用の中にちゃんとそういったニーズ調査だとか、フィールドワークを入れていたんです。やっぱり、そういうことはきちんとデザインプロセスの中に取り込んでいかないといけないんだと改めて気付かされました。
IDEOのスタッフの多くがスタンフォードで教育を受けており、私自身、会社が派遣してくれたので2年間勉強をしに行きました。特に何かすごく新しいことを学んだというわけではないけれど、『見る』ことや『考える』ことへの時間の投資や、考え方自体にびっくりしたのは確かです。
調査方法もスキルとして提供されていたわけではなく、『あそこの病院に行って、8時間いなさい』というような指示で見に行き、『見てきたものをレポーティングしなさい。そこから、そこでの問題を解決する何かを作りなさい』というような流れがしっかりフィールドワークにセットされていました。教育側も受け入れる病院側も、かなり準備が大変だと思いますけどね。当時はデザインシンキングという言葉はありませんでしたが、『なるほど、こういった包括的に見る、想像して表現していくという流れを、包括的にパッキングして教えようとしているんだなぁ』ということが分かりました。
また、当時の同窓はアーティスティックなデザイン系の学生もいれば、いわゆるエンジニアリング系の学生もいるし、ビジネス系の学生もいるというような感じで、そういった学生たちが一緒にディスカッションしたり、観察したり物事を考えたりするのは、非常にダイナミックな体験でした。
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