03-9.今後の研究テーマ ーエージェンシーと社会・技術的アレンジメントー

  1. 動き続ける空間を読むーエスノグラフィーと状況論ー
  2. 日本の学校教育への違和感ー言語ゲーム論との出会いー
  3. 状況論との遭遇 ー共同研究者 上野直樹氏との出会いー
  4. フィールドワークの視点ー冷蔵倉庫の空間を読むー
  5. フィールドへの溶け込み方ー工場から実験室までー
  6. 分析のプロセスー状況論とは普通の見方ー
  7. 論文にまとめるタイミング ー動いたことは書く!ー
  8. フィールドの見つけ方 ー社会システムとしてのコピー機」ー
  9. 今後の研究テーマ ーエージェンシーと社会・技術的アレンジメントー
  10. 「ハイブリッド状況論」について ー変化し続ける空間を理解するー

何かが足りないと感じる、何かが欲しいと感じる、何かができると思う、何かをしたいと思うなど、主体的な判断・欲求・ニーズをもつ能力のことを「エージェンシー」と呼んでいます。

川床靖子氏(以下敬称略):F社では世代の違う修理技術者さんたちに集まってもらって修理技術の変化や新しいテクノロジーについて話し合ってもらったのですが、予想以上におもしろかったですね。同じ世代の修理技術者でも自分達の役割や技術をどう捉えるかが微妙に違うんですよ。現在は、修理の現場を回らずにマネジメントの仕事をしている上司たちの、若い世代間の考え方の違いへの対応の仕方も興味深かったですね。

※世代の違う修理技術者さんたちに集まってもらって…コピー機の修理技術者がコピー機の技術革新、および、それに伴う修理技術の変化について語ったディスコース(談話)を分析することによって、新しい技術の導入が彼らのコミュニティにおける人と技術の新旧の配置をどのように再編したのかを探ったもの
ー「空間のエスノグラフィー」第2章 社会現象としての技術より

ーどっちにも気を使うみたいな感じですよね。

川床:そうそう。

あの座談会は結構意図的に計画したものだったのです。日々、現場に出ている現役世代の修理技術者の間でも、『今はもうコンピュータの時代だ』と言っている技術者さんたちと、『やっぱり機械は手で触って、ニオイを嗅いでトラブルを見つけ出すのが本筋だ』と言う技術者さんにタイプが分かれるんです。これはどういうことなのだろうか?と。
昔、調査をした諏訪の旋盤工場の同世代の社長の間でも、新しい技術が入ってきた時の対応の仕方に大きな違いがありました。CNC旋盤が入ってきた時に、『古い機械を取り払って全てCNC旋盤に、替えよう。プログラムさえ作れれば誰でも旋盤加工ができるんだ』という考え方の社長と、『いや、そうじゃない。カム旋盤を使って切削のメカニズムが分かってこそ、良いプログラムがかけるのだ』と考える人々がいました。そういう人達は旧くからの熟練旋盤工を残しておくんですよ。旧い旋盤工は、修理の時に『こういう時には、こうして修復したんだ』といった”武勇伝”を若い旋盤工に語る、それがとても役に立つという考え方なのです。全て新しいCNC旋盤にしてしまおうという工場では、旧い熟練工は給料ばかり高くなっていくので、新しい旋盤工にプログラムの仕方を習わせればよいという考え方を取ったのですね。こんなふうに、二つのタイプの工場がありました。F社の修理技術部門、あるいは、現役の修理技術者の間にも、これと似た考え方の違いがあったようですね。同じ職場環境で同じ機械技術を扱ってても、どういうわけか、機械の見方や、修理技術についての考え方に違いが生まれる。

川床:
それは先の見通しのようなものと繋がっているのかなって思うんですよ。現役の修理技術者の中には、コピー機の開発部門や修理技術の開発部門に回る人と、ずっと修理の現場にいて、やがて修理サービスの管理部門で営業所の所長さんになる人がいます。そういうキャリア上の見通しや個人としての思いが、機械を見る目・修理技術を見る目に影響しているのかなって思いますよね。

将来的には機械や修理技術の開発に回りたいと思っている人は、『やっぱりメカが分からなきゃダメだ』し、『ちゃんと機械を手で触って直せなきゃしょうがないじゃないか』っていうところがある。もちろん、今はコンピュータ制御で自動的に直すことのできる部分が拡大しているが、それでも修理技術者としてはメカが分かって修理すべきだ、そうでなければ、改良もできないと思っている。

様々な世代の修理技術者さんの話を聞いていて、それぞれの現在の立場の違いはもとより、それぞれが目指す”修理技術者像”の違いが “故障の見方””修理に対する考え方”に違いをもたらしているのかなと感じた次第です。
私たちが、日頃、何かこうしたいとか、何かができるようになりたいとか、何か欠けているから補いたいと思ったり、感じたり、望んだりするのは、その人の一つの能力といって良いと思うのですが、こうした主体的な判断・欲求・ニーズを持つ能力のことを「エージェンシー」と呼んでいます。

ーそれは、単純に”動機”とは違うのですか?

川床:従来の心理学では内発的動機付けといっているようですが、ここでいうエージェンシーは動機付けとは全く異なる概念です。エージェンシーは社会・技術的なアレンジメントによって生まれるものなので、個人の内発的なものではないんですよ。

“どんな人々とどういう形でインタラクトし、何をしているのか。そこにはどういう目標や評価基準があるか”また、”どんな人工物が介在しているのか”等々、人・もの・装置の様々な布置を「社会・技術的アレンジメント」といいます。そういう社会・技術的アレンジメントに依拠して、『こうしたい』とか『こんなことができるようになりたい』とか「もっとこうしたい」といった欲求や願い・判断が生まれるということですよね。だから「社会・技術的アレンジメント」が変われば「エージェンシー」も変化するし、新たなエージェンシーが生まれる可能性も出てくるわけです。

ー先ほどの修理技術者の話のように、同じ職場の「社会・技術的アレンジメント」の中にいながら、異なる「エージェンシー」を持つ人がいるということは、そこ以外の場所の何かによって「エージェンシー」が形成されたということになるのでしょうか。

川床:そのように考えるのではなくて、”人”もまたリソースというか、人はアレンジメントを構成する重要な要素ですよね。同じアレンジメントの一員であるAさんとBさんがいるとして、たとえば、AさんがBさんを見て『あんなふうにはなりたくないから、もっとメカに詳しくなろう』というエージェンシーを持つこともあり得ることですよね。いずれにしても、活動との関連で、”どのようにして「社会・技術的アレンジメント」が形成され、かつそれと共にどのような「エージェンシー」が生まれたり、変化したり、新たに作られたりするのか”という見方をこれからはしてみたいと思っています。

このように、自分自身を見ても、「…したい」というエージェンシーはどんどん変化していることが分かります。だけど、その変化は「社会・技術的なアレンジメント」の変化によって生まれているという考え方なのです。
この基本には、道具を含む人工物と人間を区分しないという考え方があるのです。ネパールの野菜畑の空間配置がそうなんですけど、細いあぜで狭く仕切られた圃場は、言ってみれば「人工物(アーティファクト)」ですよね。この人工物は市場での野菜の流通と密接に関連してるし、農家の人々の働き方を作り出している。また、次は何を作ってみようという期待・好奇心・欲求を農家の人に抱かせている。人工物である狭い圃場は、農家の人々のアクション・判断や思考・希望や欲求の生成に、”手の中の道具としてではなく、パートナーとして”参加しているのです。このように考えていくと、実は、「人工物」は「社会・技術的アレンジメント」であるといってもよいということになります。つまり、ある人工物をデザインしようするときには、そのものが”どのようなときに”に”どのような場で””どんな人たち”によって”どのように使われるのか”を考えるわけで、それはまさに「社会・技術的アレンジメント」のデザインですよね。ということは、その人工物を使って何をしたいのかという「エージェンシー」を生み出すことにも通じています。したがって、「エージェンシー」のデザインでもあるのです。ですから、「人工物」「社会・技術的アレンジメント」そして、「エージェンシー」は、同じ現象の異なった表現にすぎないということになるのではないでしょうか。

続きを読む


error: Content is protected !!