- 動き続ける空間を読むーエスノグラフィーと状況論ー
- 日本の学校教育への違和感ー言語ゲーム論との出会いー
- 状況論との遭遇 ー共同研究者 上野直樹氏との出会いー
- フィールドワークの視点ー冷蔵倉庫の空間を読むー
- フィールドへの溶け込み方ー工場から実験室までー
- 分析のプロセスー状況論とは普通の見方ー
- 論文にまとめるタイミング ー動いたことは書く!ー
- フィールドの見つけ方 ー社会システムとしてのコピー機」ー
- 今後の研究テーマ ーエージェンシーと社会・技術的アレンジメントー
- 「ハイブリッド状況論」について ー変化し続ける空間を理解するー
授業参観では、背中がゾクゾクッとするほど違和感をおぼえていました。
ータンザニアに行く前に、日本ではどのような研究や調査をされていたのですか?
川床靖子氏(以下敬称略):日本ではひたすら幼稚園・保育園に通って、実験教育を試みていました。
子どもの認知発達※に関する実験で、なかでも、構成実験といって、”分からないことを分かってもらう、分からせる”というものです。「分からないAちゃんが、分かるAちゃんになるためには何が必要か」っていうことばかり考えていましたね。どんな子でもこちらの材料の与え方、指導の仕方で”分かる状態”になるのだと思い込んでいましたし。ですから、もしその子がある指導法で分からなかったら、「それは指導法が悪いんだ」、あるいは「与える材料の構成の仕方などが悪いんだろう」と考えていました。それを一生懸命幼稚園や保育園で試していたのです。本当は小学生を対象にやりたかったのですが。幼稚園だと遊び時間に、大学から来た人に遊んでもらえるくらいの感じで許可してくれるんです。それで一生懸命自分で材料を作って、幼稚園や保育園に通いましたね。日本ではそういうことばっかりやっていました。タンザニアで小学生にしていた実験※はそういうものの流れですね、三角形の概念だ、重さの保存だっていうのはね。実験教育といっているんですけど。
※認知発達…人間の知識や知覚、記憶、学習などの認知機構の起源とその変遷を探る領域
※『体重を計る時に体重計の端のほうにそっと片足で立てば目盛りは軽いところを指すだろう、口のない植物は呼吸ができないから生き物ではなさそうだ』、などといった考え方は、子どもたちが日常の生活の中で外の世界と絶え間ないやりとりから生みだし、身に付けていったものである。文化がそこに暮らす人々の認知発達にどのような影響を与えているかを知るアプローチとして、タンザニアの子供たちが生活の中で身に付けた認識について、日本の子どもとどの程度違いがあるの顔実験を通じて明らかにしたもの。
実験内容は『丸めた粘土を平らにしたら軽くなるか?』『ひし形は三角形か四角形か?』など
(「タンザニアの教育事情ーアフリカに見るもう一つの日本ー』第四章 実験教育によりみる教室の中の子どもたち より
ー実験では量的な検証はされたのですか?
川床:量的な検証はあまりしないですね。”その時、子供がどういうことを言ったか”とか、そういうことのほうが貴重な資料だという考え方でした。ですから、ほとんど量的な見方はしていません。ただ、たとえば重さの保存実験で、”指導する前と後では、どの程度正答率が上がったか”というようなことはパーセンテージで出していましたが。
ー先生が元々されたのは、どちらかというと認知心理学の分野ですよね?でも、先程のタンザニアに行かれた時の興味は、極めてエスノグラフィーというか文化人類学的っぽい動機ですよね。
川床:そうですね。文化人類学っぽいし、大学時代からそういう授業が好きでしたね。細谷先生という先生が、もちろん国内でも素晴らしい仕事をしていらしたのだけど、『まぁ、行けたら文化の違う所に行ってみたいな』『オーストラリアのアボリジニで調査をやってみたい』とか言っていたんですよ。私もそういう話を聞いていて、『自分もやりたいな』という思いはその当時からあったし、”異文化地域での子供たちの発達”に関連する本を読んでましたね、発達心理学の中でも。そんな流れの中で、タンザニアでは、日本で比較的効果的な教授法(教え方)が異文化状況下のタンザニアの子供たちにも効果を持つものだろうかと思い、実験教育をしてみたのです。
ー現場でどんなふうに教えているかをエスノグラフィーするというだけではなくて、向こう(タンザニア)で『授業をさせてください』って言われたんですね。そういう意味ではエスノグラフィーの参与観察※とは違いますよね。
川床:参与観察とは全く違いますね。
※参与観察…定性的社会調査法の一つ。調査員自らが現場の一員になりながら観察を行うということ。関わらないことによる客観性ではなく、関わり直接的に経験することでより深い理解を得ることを重視する。
ー実験のときは発言などを記録したりするのですか?
川床:記録という程のものじゃなくても実際に自分が子供に働きかけていますから、その時々で子供の発言に心の中で驚いたりしているわけですよね。ですから、家に帰ってから、『あの子が、あの時あんなこと言ったのはなぜだろう?』と一生懸命考えます。そして、また指導の仕方を工夫するとかね。そういうことを繰り返しやっていたんです。
それで、タンザニアに行っても同じことをやったのです。でも、だんだんこのような実験教育的なやり方に疑問を持ち始めたのです。
ー『だんだん疑問を感じ始めた』というのは、具体的にどのようなことですか?
川床:「学習のエスノグラフィー」でも取り上げている話※ですが、ヴィドゲンシュタイン※の言語ゲーム論※を読んでピンときたんです。教育学科に所属していると、年に2回くらい教育実習の研究授業の参観で小学校を訪ねるんですが、授業を見ていると、授業の進め方にどうしても違和感があったんです。”子供たちが元気よく手を挙げて、先生の望む通りの”正答”を出し、子供たちが声を揃えて、『いいです!』と唱和し、先生が満足そうに大きく頷く、このような授業が”良い授業だ”という暗黙の了解ができ上がっている教室の風景に、何かちょっと『違うんじゃないかな?』という思いを持っていたのです。でも、自分がやっていた実験も同じようなもので、あらかじめ私が決めた”正答”があるわけですよ。そして、その”正答”を子供たちに出させるために一生懸命工夫したりするわけでしょ。しかもそれを”科学的に”という名のもとに “こんなふうにすれば、こういう子供たちはこういう答えを出すはずだ”といったような、まさに”仮説・検証実験”的に進めるのはやっぱりおかしいと思いだしたんです。結局、学校で生徒と先生がやっていることは、”学校という制度的な状況での言語ゲームだ”ということですよね。ですから子供たちは一生懸命、『(先生は自分たちに)どう答えてほしいのだろう』って先生の表情やしぐさを見て察知しようとする。先生の側も、自分がそうしようと思っているわけではないけれど非常にうまく子供たちを正答へと誘導していくっていう。
※参与観察…定性的社会調査法の一つ。調査員自らが現場の一員になりながら観察を行うということ。関わらないことによる客観性ではなく、関わり直接的に経験することでより深い理解を得ることを重視する。
ー教室での先生は授業の進行の中で、正答に関係ない回答は全部スルーして、排除していって、最終的に正しいところに導く。結局は誘導しているってことですもんね。
川床:子供の関心はそれ(正答)を飛び越えていろんな方向をむいているのに、そういったことは絶対に授業の中ではダメっていうことですよね。そこに象徴されているんですけど、学校の授業を見ていると、なんか違和感があってどうしようもないんですよ。
実習生の研究授業が終わってから先生方と研究会があるんですが、その時にそんなことを言うとその場が本当にしらけちゃうわけですよ。だけど言わずにはいられない質なので(笑)。『教育実習生への評価に悪い影響を与えたら困るな』と心の中では思っていたんですけど。いずれにしても、学校をフィールドにするのがとても嫌になってしまったんです。それからよく『川床さんは学校嫌いですね』って教育心理学の人から言われるんですけども、やっぱり基本嫌いなのかな(笑)。
ー違和感があってもそれが今の日本の教育であり、カリキュラムをこなすにはその方法をしていかなければならないっていうところがありますもんね。それに気付いてしまうと確かに気持ち悪いですが。
一方で教育実習生の方々は、それこそ今の日本教育で求められているような教師になろうとして実習しているわけですから、そこでそもそも論を言われたら確かに困ってしまいますもんね。
川床:『それは今、言わないでくれ』って感じですよね。学生さんもそうだし、指導する先生たちもそう。『それを言われたらどうしようもないでしょ』っていうようなことなんです。だから、そもそも論を言わないためにも学校からは距離をとろうかなと思ったんです。
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